株式会社栄光社は、昭和24年に鵜澤六治(注1)によって創業されました。
国鉄時代には、千葉鉄広告協同組合の初代理事長として鵜澤六治は国鉄と広告代理店社との協力関係の礎を築きました。JR東日本への組織変更後は東日本鉄道東京広告会(注2)に参加し一翼を担いました。
昭和40年には、読売新聞千葉版のコラム「汽笛一声」(注3)に、鵜澤六治による鉄道唱歌千葉県版が連載されました。
(注1)国鉄時代の主な経歴:尾久機関区長、千葉機関区長など現場主義を貫いていました。
千葉機関庫は、太平洋戦争中の昭和20年6月の空襲で大きな被害を受けました。この地にて殉職した職員や学徒ら、23名の尊い犠牲者の霊を慰め、その先人たちの偉業を永遠に称えるため、動輪を用いた記念碑建立の発起人として建立まで尽力しました。この記念碑には、親交のあった十河信二氏(故人)筆による『礎』が刻まれています。昭和43年2月17日に行われた除幕式及び動輪碑建立までの記録を綴った写真集はこちら。
(注2)現在は脱会しております。
(注3)鉄道唱歌千葉県版をダウンロード(PDF 4.6MB)(当時の雰囲気を伝えるためスキャン画像を使用しています。)
※以下の写真はすべてモノクロ写真をカラー化しています。